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江戸時代後期の浮世絵絵師・葛飾北斎

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江戸時代後期の浮世絵絵師・葛飾北斎

浮世絵とは日本の風俗画、江戸時代に庶民も楽しめる娯楽として爆発的には広まったユニークな民族芸術であり、主に庶民の生活や風景や当時の風俗を反映している絵画のジャンルの一つです。

浮世絵師と言えば、日本だけでなく世界的に有名な絵師である葛飾北斎を思い出しただよね。という訳で、今回は葛飾北斎について、お話しましょう。

葛飾北斎

1760年9月23日、下総国本所割下水(東京墨田区)に生まれた葛飾北斎は、本名が中島時太郎。画号は「春朗」をはじめ「宗理」、「北斎」、「戴斗」、「画狂人」、「卍」など30以上もある。

葛飾北斎

14歳で版木彫りの仕事につき、18歳で浮世絵師の勝川春章のもとで描き始め、長い絵画の進路へ進んでいきます。翌年、20歳の葛飾北斎が勝川春章の“春”の一字を貰い“勝川春朗”の名で3枚の役者絵を発表します。その後の15年間、師匠の元で修行を続けていました。1795年に、師匠を離れて宗理(そうり)という名前で、これまでの絵とはまったく違う自分なりの作品をアピールしていきました。その後、北斎が新たな挑戦を始め、「葛飾北斎」という名を付けて読本の挿絵や肉筆画を作成していきました。1814年に挿絵の仕事が終わると、54歳の北斎は名古屋に数ヶ月滞在し、葛飾北斎の名を世界中に広めることとなった絵本『北斎漫画』を発表しました。

90歳までは一日二絵のほどで3万5千以上の絵画ができた。その量は中国の有名な絵師である斉白石の作品数に相当。

有名になったのは、60歳以降。

勝川春章」は葛飾北斎の師匠、江戸時代中期を代表する浮世絵師。

葛飾北斎の向上心

生涯で93回ともいわれる回数の引越しをした葛飾北斎は、豊かな生活経験持っていて山水や人物や動物などをテーマにして絵を描いた。その中、得には日本の景色及び労働者を上手く描ける。それには、好奇心に富む北斎が日本画に飽き足らず、自分の画力を向上させるために中国画西洋画から特徴を吸い込み、いろいろな描い方を習得してユニークな存在である絵を作成できるように頑張ってきた。

葛飾北斎の死去

1849年5月10日に、江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没した。 享年90歳。死の間際に、葛飾北斎が「せめてもう10年、いや、あと5年でもいい、生きることができたら、わたしは本当の絵を描くことができるのだが」と言い残した

葛飾北斎の代表作

凱風快晴

凱風快晴

神奈川沖浪裏

神奈川沖浪裏

 摂州天満橋

摂州天満橋

一生の生涯を絵を描く事に捧げた天才絵師・葛飾北斎の作品のスタイルはヨーロッパにおける絵画への影響が大きい。エドガー・ドガ、エドゥアール・マネ、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャンなどの絵師でも、北斎の作品を模写したことがあります。

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